福岡のFMラジオ局 LOVE FM。周波数76.1MHz。九州北部広範囲をカバーする10ヶ国語の多言語放送局。
2018.12.13[Thu] 00:00
12月2日の放送番組から気になった内容の一部を紹介します。
山本:さあ、もう12月。今日は12月2日ですが、この時期よく演奏されるのは、ベートーベン作曲の交響曲第九番、通称「第九」ですよね。日本で初めて第九が演奏されたのは、九州なんですって?!
益田:そうです。 “九大フィル”、九州大学のフィルハーモニーオーケストラですが、当時は「九大フィルハーモニー会」という名前だったそうです。1924(大正13)年の話です。天神にようやく「九州鉄道」今の「西鉄天神大牟田線」が開通し「福岡駅」ができた年、その直前の話ですね。で、なぜ第九が演奏されたのかといいますと、当時の皇太子殿下(後の昭和天皇)のご成婚があった時なんです。福岡市でのご成婚記念演奏会を九大フィルがやるということになり、その演目の一つが「第九」だった!これが、国内で初めて第九が演奏された記録になるのだそうです。
山本:これは興味深いですね。
益田:当時のプログラムでは、4曲目に「ベートホーフェン作曲・第九交響曲最終楽章」の文字が!ベートホーフェンはベートーベンです。この時は歌も歌われたらしいです。ただし、そのままベートーベンの「歓喜の歌」を訳したのではなくて、皇太子のご成婚を祝う日本語の歌詞に置き換えられて歌われたそうです。
山本:聴いてみたいですね。
益田:そうですね。しかし、残念ながら日本でラジオ放送が始まる2年前。なので音源は遺ってないようです。
山本:じゃあ第九はまさにその時のライブだけ、ということですね。
益田:九大フィルというのは、国内でも最古級のアマチュアオーケストラだそうで、発足は1909(明治42)年。当時は九州大学ではなく「福岡医科大学」という名前で、フィルハーモニー会として発足。年に2回の定期演奏会を当時から現在まで続けているんだそうです。
終戦後になって自由に演奏ができるようになってから、1953(昭和28)年に同会のOB=卒業したメンバーや福岡放送局の管弦楽団のメンバーが集まって、指揮者・石丸寛と一緒に結成したのが「福岡交響楽団」、現在の「九州交響楽団」なんだそうです。
山本:歴史を紐解いてからまた第九を年末に聴くと、ますます壮大な感じがしますね。そして、福岡と音楽を語る上でもう一人、重要人物がいらっしゃるとか?
益田:大正から昭和にかけて国内外で活躍したソプラノ歌手に、「荻野綾子」さんという方がいらっしゃいます。現在、新天町がある場所は「福岡高等女学校」でした。荻野さんはそこに通われたあと「東京音楽学校」(東京芸術大学の前身)を卒業されて、童謡「赤とんぼ」等で知られる世界的に有名な作曲家・山田耕筰さんに師事して飛躍。パリに三度の留学を経て、ソプラノ歌手になり、日本にフランス音楽を紹介した方なんですよ。
山本:当時フランスへ留学って、大変なことでしたよね。
益田:飛行機はまだ飛んでませんから、船と汽車ですよね。その時代に三度も留学!福岡高等女学校は現在の「福岡中央高校」の前身です。余談ですが、漫画家の「長谷川町子」さんはこの学校に入学しています。
大正末、荻野さんを中心にして「福岡歌唱研究会」というのが発足します。福岡市で西洋音楽を愛するという空気が、先ほどの九大フィルも含めて、“演奏して楽しむ”から、さらに“歌って楽しむ”という時代になったんですね。
山本:これは一般の人、ということですか?
益田:一般といっても、大学教授夫人を中心に商店主などで構成した、当時の上流階級的な方々がまず歌唱会を始められ、荻野さんは名誉会員になりました。昭和初期には福岡で“大歌唱ブーム”が起こったそうです。
実は、こういった背景が、実はNHK福岡放送局の開局を後押ししているわけですね。やはりラジオのメインは音楽。そういった世相もふくめて、福岡には魅力的な音楽シーンがあるということが、福岡にラジオ文化が早く根付いたきっかけになっています。
残念ながら、荻野さんは第二次世界大戦中、1944(昭和19)年に若くして亡くなられました。戦後、地元ではほとんどその名が忘れ去られているような状態です。一部、荻野さんを慕い研究していらっしゃる方々が「荻野綾子顕彰会」等で周忌コンサートを開かれたりしています。
余談ですが、柳川出身の北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「からたちの花」は、山田さんが荻野さんに向けて作った曲なんだそうです。ぜひこういう機会に知っていただけたらなと思って話させていただきました。