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★14年間、松井伸一のSTREET NOIZをずっと応援してくださった皆さまへ★

2023.05.19[Fri] 19:55

今夜は、松井さんの49日を賑やかに打ち上げよう!と、おなじみSPIN CREWがやってきてくれます!もう間もなく!どうぞこのあと2時間ノリノリでお楽しみくださいね。

さて、皆さまにお伝えがございます。14年間のうちの12年、わたくしJUNKOがこの番組の3代目ディレクターを務めさせていただきましたが、この度松井さんの49日を以て…ということで本日、こちらを辞させていただくことにしました。「ラジオ界の宝である松井さんを、このまま定年で終わらせるのはもったいない!」と、番組を企画・発案してくださった:ジョージハ・リスンさんをはじめ、久坊さん、長崎材木店さん、九食さんの「松井さん愛」のおかげで14年間、コロナ禍だろうと入退院を繰り返されようと、常に金曜の夜8時を極上のロックと松井さんの「声」で彩ることが出来、そして何より、ラジオDJとして60年間、ずっとリスナーでいてくださった皆さまのおかげで、84年の人生を「現役ラジオDJ」として終えられた事、松井さんやご家族に代わりまして、心よりお礼を申し上げます。

4月5日の訃報から、5月23日に49日(法要は月末東京で執り行われます。)を迎えますが、わたくし自身「松井伸一のSTREET NOIZ」のディレクターである事に誇りと自信を持って、皆さんと共にこの12年を過ごして来たつもりです。今もまだ入院されているだけのような…というのが正直な気持ちでも有り、そんな中、お通夜のロック葬は、本当にたくさんの皆さんのおかげで大成功、松井さんと「やりましたね!誰もしないような事!」とハイタッチしたくなるくらい、ありがたいものとなりました。松井さんと「人がマネできないような事、自分たちが楽しい事をやろう!」を合言葉に、名物企画をたくさんやりましたし、リスナーさん、アーティストさんも喜んで参加してくださいました。私は裏方ですが、松井さんのおかげでたくさんのリスナーさんに名前を覚えていただきました。松井さんの最後の相棒でいられたのは、とても光栄でした。

今日が最後になるので、長くなりますが、お話しさせていただきますね。去年の2月、お誕生日翌日からの入院…皆さんに可能な限りはお伝えしたい、でもそうでない部分はスタッフ間で共有、それすらも出来ない部分をお嬢さんと共有、コロナで家族も面会不可の中、お嬢さんと「とにかく松井さんが望むこと」を最優先にとやってきました。肺炎でご入院後、いつ命を落としてもおかしくない大きさの大動脈瘤が声帯の難しい部分に出来てしまい、まずは、その手術をするか否かが第一の難関でした。そして、医師の宣告に対して松井さんは「命」より何より「声を失うかもしれない」という事に最も反応しておられた…と、お嬢さんに聞いた私は、その時から「松井伸一を最後までラジオDJでいさせよう」と心に決めました。なので、東京での手術の前日「痛みや苦痛が無いのなら、どんな声になってもあとはスタジオで何とかします。60年来のファンの皆さんにとっては、声よりも松井さんの存在に意味が有り、力をもらっているのです。ここからは、松井伸一の生き様を皆さんにみていただきましょう。だからスタジオでお待ちしています★」と言って、鮎川さんや杉さん、千葉さんなどたくさんの皆さんとの楽しいスタジオでの写真を山のように送りつけました。笑 正直、この時は中々苦しかった記憶があります。「さすがにもう無理なんじゃ?」とか「治療に専念してもらった方が良いんじゃ?」とか「もう現場は諦めて名誉会長みたいになってもらっては?」という意見に「それはもう死んで良いよと言ってるのと同じ事ですよ!松井さんは戻って来る気なのに!」と喧嘩上等な感じで反論していましたから。笑 そして、皆さんご存知のように、その後スタジオ復帰された時の松井さんのあのお声、きっと驚かれたと思います。「あんな声で公共の電波で喋らせるなんて」という、厳しくごもっともな意見も頂戴しました。胸が痛み、私もラジオの制作者としてどうすべきか悩みました。でも99%の方は「良かった、生きててくれた、帰ってきてくれてありがとう」と言ってくださり、何より、局やスポンサーさんがご理解くださった。これに関しては感謝してもしきれません。そして、大手術後なのに、猛スピードで帰福されたり、車椅子を準備しているのに自分の足でスタジオ入りしようとする姿、マイクの前に座ると元気スイッチが入る姿、居るだけでリスナーさんやスタッフの喜ぶ顔を見て、ああやっぱり松井さんはラジオの人だ、すごいな…と、一番近くで感激したのを覚えています。皆さん、松井さんは本当に「マイクの前」をご自分の居場所とされていましたよ。浦田賢一さんが「松井さんはマイクの前、オレはドラムの前が居場所やけん」そう言われてましたもんね。

あ、そういえば、松井さんの残されたたくさんの音源や資料、気になっていらっしゃるかもしれませんが、ご安心ください。音楽通の義理の息子さんが、ご自宅に1部屋用意され大切に引き継いでくださいましたし、わたくしも分けていただきました。そして、松井さんの再復帰を願い番組は15年目に突入しましたが、松井さん亡き今、番組立ち上げにおけるたくさんの方の想いを知っているからこそ、どうしても譲れない部分が有りまして、やはり自分は松井伸一のSTREET NOIZのディレクターでいたいと思い、本日で辞させていただくことにしました。これまで14年間、どんな時も参加して一緒に番組を作ってくださった皆さまを残して去るのは本当に心苦しいのですがご理解いただけますと幸いです。最高の番組だったと自負していますし、最高の12年間でした。本当にありがとうございました。いつの日か、また皆さまと松井さんの伝説や愉快な話を共有できる機会があればと願っております。それまでどうかお元気で★天国のシーナさん、里花さん、康さん、甲斐田さん、鮎川さん、どうぞ賑やかに松井さんを迎えてあげてくださいませ★では、ひとまず今宵スピンチームとご一緒しましょう★ KEEP ON ROCKIN' !! 3代目ディレクター:JUNKO

DJ紹介

  • 北野”JK”順一
  • Kitano"JK" Junichi
  • 誕生日:11月13日
    出身地:沖縄県

    父親が中国、母親が長崎出身。沖縄のインターナショナルスクールで教育を受ける。在学中の15歳の時にラジオ番組の1コーナーを担当した事がきっかけとなりデビュー!以来、各方面で活動を続けている。

    これまでにも多数の番組を手掛け、沖縄時代は男性初のラジオカーレポーターや当時バイリンガルと言う言葉が一般的では無かった頃から2ヶ国語(英語?日本語)または(日本語?うちなーぐち)で放送。地元・沖縄から九州のFMに移籍してからもリスナーが選ぶ全国人気DJランキングにおいて連続TOP5入りを果たすなど様々な実績を持つ。

    ラジオ以外にも講演会・トークライブ・TV・CMナレーション・オリジナルグッズの製作や雑誌のコラム執筆など精力的に活動中!

    座右の銘「なんくるないさ?!」

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